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お正月コラム 七福神と松飾り


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七福神と松飾り

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お正月にはかかせない、「七福神」と「松飾り」
についてのお話です。


●● 七福神 ●●




●招福の神、
七福神

七福神は、七つの災いを除いて、七つの幸せを与えてくれる神様です。また、七福神は、人に七つの道を示し、七つの得をそなえさせる福神です。七福神は、それぞれ各社寺に祀られ、参詣されてきましたが、江戸時代になって、七つの福神をすべて参詣することが流行りました。「七」という数字が、調える意味をもち、おめでたい数字であることから、七つの七福神が、招福の神々として信仰されるようになりました。



●七福神の
起こり

徳川家康が、天海僧正に「国が栄えるようになり、人徳がたかまるようにするには、どのような道が、大切であろうか」と質問されたのに対し、僧正は「仁王護国般若波羅密経(はんにゃはらみつきょう)」(仁王経)などの経典に説かれている教を大切にすれば、七難即滅し、七福即生します」 と答えました。さらに家康は、 「七福とは何か?」と尋ねると、僧正は、 「七福とは、寿命(長寿)、有福(富財)、人望、清廉(正直)、威光、愛敬、大量であります」 と答え、この七つの福徳が、人生にとって、大切であることを説明しました。 家康は、早速、狩野派の画家に、七福の神々を描かせました。このことが、七福神の始まりであるといわれています。

寿老人 (長寿)

●寿老人
 (長寿)

健康長寿の神様
寿老人は、中国道教の神です。また中国の老子の化身の神ともいわれています。寿老人は、白髪長寿の老人の姿をして、杖を手にし、杖には人命の長寿を記した巻物を吊るし、鹿を伴っています。鹿は、長寿を司る寿老神の神使とされています。寿老神は、人に延命長寿の福徳を授ける福神として、信仰されてきました。

大黒天 (富財)

●大黒天
 (富財)

家運繁栄 莫大な富
大黒天信仰には二つの流れがあります。一つは、大黒天を大国主命とする流れ、もう一つは、インド名をマハカーラという仏神の大黒天です。
インドのシバ神が、悪神を退治した神話から、仏教に取り入れられ、摩訶迦羅天すなわち大黒天となり、夜叉茶吉尼衆を降伏する大日如来の化身となり、忿恕の戦闘神の姿をしていました。ところが大黒天はしだいに招福の神となり、忿恕の相が、笑顔の姿になり、台所財宝糧食をつかさどる大黒天となりました。
 大黒は大国に通じ、大国主命に結合して福神の形となり、鳥帽子、狩衣をつけ、右手に小槌を手にし、左手に大きな袋をかついでいます。小槌と袋は限りない財宝糧食を蔵していることをあらわし人々に財宝を授ける福神であります。

福禄寿 (人望)

●福禄寿
 (人望)

学問の神様
福禄寿は、星宿の神、南十字星の化身ともいわれて、 長寿をつかさどる人望福徳の福神です。一説には、中国の宋の時代、嘉裕年間(1056年)に実在した道士であるといわれています。福禄寿は、背丈が低く、頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数百年といわれ長寿をつかさどる福神です。福(幸福)と禄(財)と寿(長命) の三つの福徳を授ける福神といわれています。

恵比寿 (正直)

●恵比寿
 (正直)

商売繁盛の神様
恵比須は、イザナギノミコトの第三子にあたる蛭子尊(えびすのみこと)であるといわれ、全国の恵比須信仰の中心は、兵庫県西宮市の西宮恵比須神社です。恵比須神は、大国主命の子にあたる事代主命で、釣り好きの神であるといわれています。また鯛の故事にちなみヒコホホデミノミコトともいわれています。
恵比須は、鳥帽子をかぶり、狩衣を着て、右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱き、岩の上に座った姿をしています。最初は、航海安全の神として信仰されてきましたが 、後に商売繁盛の神として、広く信仰されるようになりました。エビス顔といわれるように、笑顔愛敬、和顔愛語の福徳を人に授け、かつ富財の神として、信仰されてきました。

弁財天 (愛敬)

●弁財天
 (愛敬)

財運と芸能の神様
弁財天は、インド名をサラスバティという川の名、意訳して、大弁天、美音天といわれ、この川の神が、悪声を変じて美声に変える音楽の神、芸術の神でした。そして、仏教の神となり、才智弁舌の神とされ、最勝王経に説かれているように。「もし財を求むるならば多財 を与える」とあります。日本では、弁才天より弁財天として、財宝を施す福の神として信仰されるようになり、商売繁盛の富有の福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置づけられ、池、川、沼、湖などに多く祀られ、蛇が神使とされてきました。また、同経に、弁財天は、智慧、延命、安楽を与えると説かれています。

毘沙門天 (威光)

●毘沙門天
 (威光)

戦いの神様
毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、もともとヒンズー教の財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神になったものです。経典によると、毘沙門天は四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の随一として須弥山の中腹に住み、大勢の夜叉や羅刹を率いて北方を守護しています。常に仏の道場に在って多くの法を聞き、その福徳の名声が遠く十方に聞こえることから多聞天と訳され、また財を授けることから施財天ともいわれています。その姿は、身に甲冑をつけ、左手に宝塔を掲げ、右手には三又矛を持ち、邪鬼を踏みつけて毘沙門立ちをしています。
 毘沙門天は、国土守護の武神として、特に武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめ「毘沙門の申し子」といわれたことや、志貴山の毘沙門天に祈願して生まれた楠正茂が、幼名を多門丸と名づけられたことなどは、有名です。

布袋尊 (大量)

●布袋尊
 (大量)

様々な福徳をもたしてくれる神様
布袋尊は、中国五代のころ、浙江省奉化県に実在した契此という高僧といわれています。大きな袋を持ち、これに食べ物や日常品をいれ、杖をたずさえ、大きな団扇を手にし、身体は低いが、腹は太鼓腹、半裸身、粗衣をまとい、常に笑顔、清貧にあまんじ、諸国を遊行し、子供と遊び、酒脱、楽天的な和尚として親しまれてきました。また人の吉凶、時の晴雨を予知したといわれました。後梁貞明二年(916年)三月三日、高齢をもって寂したが、年齢は不詳とされています。
 中国において、布袋尊を弥勒菩薩の化身として、一般に信仰され、画像に描き、彫刻に刻まれ、あるいは置物として、ひろく親しまれるようになり、日本に伝来し、清廉潔白、大気度量を人々に授ける福神として、禅画や置物にまでなって親しまれ、信仰されるようになりました。



●●● 松飾り ●●●

●松飾り=門松。昔は、職人が家々を回っていたが、最近では、企業やホテル、マンション入口などになってしまっています。29日は、「苦かつぎ」、31日は、「一夜飾り」と言って、嫌われているので、クリスマス後28日までに飾るのが、一般的になっています。

●門松は、歳神様が天から降りてくるための目印とされています。古くは、松に限らず、さかき・つばき・しきびなどの常緑樹を用いていたが、室町の頃から、「松は千歳の契り、竹は万代を契る」という諺から、松と竹の組み合わせになったようです

●本飾りは、先端を割った竹を3本並べ立て、松を添えて根元をワラで巻いたり薪で囲ったものをいい、「松竹梅」を揃えるとして、竹を締める縄の結び目を梅の花の形にするものもあります。

●門松を取り払うのが「松納め」。東京では、「七草の風に当てるな」といい、6日の夕方に取るのが昔からの習わしらしいのですが、7日までを「松の内」ということに矛盾します。15日の小正月まで飾っておく地方もあることから、特に、決まりはないようです。

●門松や注連縄飾りなどを集めて燃やすのが、「左義長」または「どんと焼き」といい、餅を焼いて無病息災を願うという習慣は続いているようです。でも、東京などでは、ゴミとして出すしかないのは寂しい限りです。


 
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